神戸地方裁判所 昭和24年(タ)26号 判決
原告 坂田栄
被告 坂田晴男 (いずれも仮名)
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、原告と被告とを離縁する。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、その請求原因として、被告は昭和十六年九月二十五日原告と養子縁組をし、同時に原告の二女惠美子と婚姻してその壻養子となつたのであるが、その後間もなく出征して中支に派遣され、同二十一年六月上旬頃復員し、その出征中の同十七年二月十一日には長男茂男が生れたが、被告の留守中に惠美子に不都合があつたので被告は同二十一年九月十七日惠美子と協議離縁した。その後被告は同二十二年二月二十四日芳枝と婚姻したが家庭内に風波の絶え間がなかつた処、被告は同二十二年六月上旬頃原告所有の土地家屋全部を被告に讓れと要求し出したので原被告双方の親族が集つて協議した結果、原告側の親族としては時期尚早につき適当な時期まで留保することに話がまとまつた。そこで被告及その近親者の間でこれを快く思はず、爾來一層家庭内は不和となり、その後一ケ月も経たない七月二十日頃には同じ家に住みながら原告と孫、被告とその妻との二世帶に分れ、配給物も区別して別々に生活するようになつた。被告は壻養子に來て以來原告家で暮すのはその復員後のことに属するが、原告等と同一世帶の時ですら自己夫婦と子供の三人に対して一ケ月に僅か二、三百円位の生活費しか出さないので、原告は僅かばかりの家賃の收入、封鎖預金の引出、家財道具の賣却等によつて生活を営んで來たが、被告は原告の箪笥を無断で破壊し、原告の所有であるタオル、靴下等を持出したり何かにつけて原告に言掛りをつけ顔を毆つたり、胸倉を掴み突倒す等しばしば暴行を加え、怒鳴りつける事は殆んど毎日のことで、その上原告に対し電気、ガスの使用を妨害する。その最も甚しかつたのは昭和二十三年七月六日午後八時頃、就寝中の原告を足先で蹴飛ばし逃げる原告を追掛けたが隣家の人に制止されたことがある。又このような場合、被告の妻芳枝は被告を制止するどころか、逆に末永く伴れ添う夫の方が大事と称し、原告に対しあんたみたいなような人はどうでもよいと放言し、いわゆる夫婦共謀で原告を虐待する有様である。このため近所の人が驚いて止めに來てくれたことも度々あり、又平素原告の苦境をみかねて薪炭をくれたり、仕事の手傳をしてくれたり、孫の茂男に果物や菓子を惠んでくれたりする始末である。このような有様であるから原告が病気しても被告夫婦はその世話もしてくれず、原告は耐えかねるときは弟の家に行つて世話になつたこともたびたびある。被告にはすでに西宮市甲子園所在の宅地百数坪を、その妻芳枝には宅地約六〇坪を與え、その登記も了しており、又被告は出征前阪急に勤めていてその出征中同社より貰つた給料一切は被告名義で預金して復員と同時に被告に手渡してあり、被告は復員後も阪急に勤めていて相当の給與を受けているものである。以上のような事情で、被告は原告に対し親子としての情愛もなく交りもせず、むしろ原告は被告のため虐待罵倒される悲惨な状態にあり、その上原告は女の身ですでに老境に入つて余命いくばくもなく、且つ近隣に対する手前も考えて、しばしば人を介して種々被告と接渉したが、ことごとく水泡に帰したので、やむをえず、同居にたえず、又被告は原告の娘惠美子と離婚してしまつているのであるから民法第八一四條第一、第三号に該当するので被告との離縁を求めるため本訴に及んだ、と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文通り判決を求め、答弁として、原告主張事実中被告が昭和十六年九月二十五日原告と養子縁組をし且つ同時に原告の二女惠美子と婚姻をしてその壻養子となつたこと、その間に同十七年二月十一日長男茂男が出生し、同二十一年九月十七日被告は惠美子と協議離婚し、同二十二年二月二十四日芳枝と婚姻したことはこれを認めるがその余の原告主張事実は無根乃至歪曲の主張である。即ち、元來原告は被告の母の弟坂田義男の妻であり、被告と前妻惠美子とは從兄妹の関係にあるので義男死亡後一族協議の上前記の如く壻養子縁組をしたのである。処が被告が昭和十六年十一月二十八日應召出征し、同二十一年七月十五日帰還してみると、被告の出征中より惠美子は当時二階を間借りしていた平島武と私通していて、被告の帰還後十日目に長男茂男を甲子園停車場に見捨てた儘無断で平島と共に出奔した。そこで被告は忿怒やる方なかつたが親戚の間柄でもあり我慢し、且つ親族一同より子供と二人坂田家に踏止り坂田家をたててくれと懇願されたので子供の将來も考え踏止ることに決意し、協議の上同年九月十七日惠美子と離婚し、その籍を平島武の籍に入れることにした。その後被告は原告及子供の三人で暮し、原告に対しては能う限りの孝養を盡していたのであるが同二十二年二月二十二日親族の勧めに應じ、原告や子供の立場をも考慮して財産を讓受けるとの條件で原告の妹の娘芳枝と婚姻し、同女も又爾來原告に対し優しく仕えて來た。ところが平島武の籍に入る筈であつた惠美子は原告の弟松井薫等の策動により分家して平島と入夫婚姻し、原告は惠美子夫婦を被告に内密で鳴尾村に居住せしめ、その夫妻間に同二十二年一月元惠が生れた。この頃から原告は被告等を厭い初め、被告等ができる限りの孝養を盡しても原告は日毎に憎しみを増し、遂には食料等は原告自身應接室に入れて施錠し、自身で管理しておきながら近隣の人々や親戚の者には食う物を食わせないと言い振らし、或は被告夫婦の不在を窺い家財道具類を次々と持出し果ては被告等が日常使用する茶碗、皿まで取上げるに至つた。このような始末に親戚中被告等の将來を案じ、財産は被告等に讓る約束であるからこの際それを実行すべきであると申出る者があつたが、松井薫に妨げられてまとまらず、これがため原告の被告等に対する憎しみは益々募り、被告等の思いをこめた食物にすら難癖をつけて食べず、遂に同二十三年七月頃から原告は自炊して被告等と食事を別にして同二十四年三月からは孫の茂男をも被告等から引離して同人と二人で食事をするようになつた。元來原告は二階に起居し被告等夫婦は階下に起居して居り、又茂男は幼兒の頃から今日までずつと祖母である原告とともに就寝していたので、今や食事まで別にすれば一家が二世帶に分れたも同然である。原告が自炊するようになつて後も配給物は全て被告等において一括購入して原告等の受給分を渡している。又原告には他に家賃として一月に金二千円の收入あり、それを原告において費消しているので被告は原告をして生活に不自由せしめた事は絶対になく、原告が生活のため家財道具類を賣らねばならない事情は全然ない。又被告が原告の箪笥から無断でその所持品を持出したことはなく、かえつて原告が被告の所持品を取出して隠しているのである。原告は被告が原告にしばしば暴行を働くように主張するが昭和二十四年三月十五日に原告が被告の蒲団を取上げたので二、三問答した際原告は耳が遠いので自然被告が大声を出した処、隣家の中村富子が出て來たことがあつた位で他に暴行と取られるような振舞をしたことはない。要するに原告はその弟松井薫と相謀り、茂男をその膝下に置いて被告夫婦を追い出し、娘惠美子を身辺に引入れるため事実を虚構して本訴を提起したものと考える外なく、到底原告の本訴請求に應じられない、と述べた。<立証省略>
三、理 由
当裁判所が眞正に成立したと認める甲第一号証の一、二(戸籍謄本二通)と証人松井薫、同坂田芳枝、同中村富子、同加藤清の各証言と原被告各本人尋問の結果とを綜合すると、原告はその夫坂田義男と大正七年十月三十日死別し、爾來夫の職業であつた浴場業を営み、義男との間に出生した一人娘の二女惠美子を育てて來たが、昭和十六年九月二十五日本家に当る坂田菊二郎の仲介で亡夫の甥にあたる被告と養子縁組をし、同時に被告を惠美子と婚姻させていわゆる壻養子とした、そして被告は同年十一月出征し、同二十一年七月復員帰還したが、その間同十七年二月十一日に長男茂男が出生した。処が妻惠美子は被告の留守中原告方の二階に間借していた平島武と不義を犯し、被告の帰還後旬日を出でずして平島武と共に無断出奔してしまつた。そこで原告も実子惠美子の非行に驚き、親族の者とも相談の上、憤慨する被告をなだめ、被告は坂田家に踏止まることになり、同年九月十七日惠美子と協議離婚し、次いで松井薫の仲介により原告の希望も容れてその姪にあたる芳枝と同二十二年二月二十日頃結婚式を挙げ、同年十一月二十四日婚姻届を了したことが認められる。
原告は本件離縁の理由として被告が前記の如く原告の実子惠美子と離婚していることを主張するが、旧民法(以下新民法と旧民法を区別する必要あるときは昭和二十二年法律第二二二号による改正前の民法を旧民法と略称し、同法律による改正後の民法を新民法と略称する)第八六六條第九号は家の観念を前提とした規定と解せられ、同法條同号は日本国憲法の施行に伴う民法の應急的措置に関する法律第三條により昭和二十二年五月三日以降その効力を失つているから、右離婚が昭和二十一年九月十七日で新法施行前の事実に属するの故を以てしても現在においては前記旧民法の規定に基き離縁を求めることは許されない。
又新民法は養子制度をして旧民法下における如く家の承継者を作ることを主眼とする制度としていないから、被告が原告の実子惠美子と離婚している事実は新民法第八一四條第三号にいわゆる縁組を継続し難い重大な事由ある場合に該当しないから原告のこの主張はそれ自体失当である。
次に原告は被告が芳枝と婚姻した後、特に昭和二十三年六月頃、被告が原告所有の土地家屋を全部讓れと申出たが原告側の親族が時期尚早を理由に右申出を容れなかつたところ、その後被告はこれを快く思はず被告は毎日の如く原告を罵倒し、又しばしば原告に暴行を加えるのみか、相当の收入があるのに、被告夫婦及び長男の生活費も家に入れず、あまつさえ昭和二十三年七月頃からは一軒の家に住みながら原告と孫、被告夫婦とを二世帶に分ち、女の身ですでに老境に入つた原告に対し扶養義務を盡さず、その上原告が電気及びガスを使用することまで妨害し、原告所有の家財を無断で持出すと出張するが、原告本人尋問の結果により眞正に成立したものと認められる乙第一、二号証と証人坂田芳枝、同加藤清の各証言と原告本人尋問の結果とを綜合すると被告が芳枝と婚姻した当初は別に家庭内に不和はなく、原告が一人で家政一切を司つていたが、そのうちに家政上の不便を除くため、家政を原告と被告夫婦の共同で司るようとの希望が出たり、又平島武の籍に入れる約束になつていた惠美子が分家して坂田姓を称し、平島が入夫婚姻していることが明かとなり、且つ原告家の家財道具類が原告の手により持出され始めたので、親族の中から被告夫婦の将來を慮り、原告名義の財産を被告名義に切換える話が持上り、そのため昭和二十三年六、七月頃原被告双方の親族が集つて協議したが、この話は原告側の親族に当る松井薫から時期尚早を理由として反対され、実現しなかつた処、原告はその頃から被告夫婦を快く思わなくなり、又一方惠美子の出奔直後は原告もその非行を憎んでいたが、月が経つに從い、永年自己一人で育てて來た同女に対する愛着が蘇り、殊に昭和二十四年一月項から惠美子が尼崎、西宮方面に帰來し、ひそかに同人方に出入するに至つて更に惠美子に対する愛着を深めその余り被告夫婦に対する感情は悪化する一方となつたのであるが、前記財産名義書換え問題の起つた直後の昭和二十三年七月下旬頃から原告において自ら被告等親子と食事を別にし、自己は前栽で自炊して自己の寝室で一人食事をするようになり、その後被告夫婦の再三に亘る共同炊事の申出も聴き容れず、その上同二十四年三月頃芳枝が病気療養のため十日間程実家に帰つた機会に原告の孫茂男が食事を共にするようになり、その後は芳枝が原告方に帰つた後もこれを改めずそのため原告方は一家庭でありながら原告と孫、被告夫婦が別世帶を営むようになつたこと、原告方の生活費については原被告が同一世帶で生活していた間は被告はその收入の大部分を原告に渡し、別世帶になつてからも原告等の受ける配給物は被告において買入れて原告に渡しており、原告はその外その所有の家屋の賃料として現在一ケ月金二千円の收入がありこれを自己において費消しているのであつて、被告が原告を疎外しているのではなく、むしろ原告が理不盡な悪感情を懷き被告等をことさらに遠去けようとしているのであつて、ために被告の原告に対する感情も自然平静を欠き勝となり、その間多少の風波のあるのは己むをえないところであるが、さりとて被告が原告に暴行を加えたことはなく唯、昭和二十三年七月頃原告が被告等の使用中の蒲団を取上げようとしたことで原被告が口論したとき被告が昂奮して大声を発するに至つたため原告が隣家の中村富子に救を求め、同人が來たことあり、又同二十四年九月頃芳枝が不在中原告がガスを使用してその後始末が悪くガスが洩れていたので被告が注意するとともに危險を感じてガスの出口を塞いだことはあるが、被告等が原告のガスや電気の使用をことさらに妨害したことはないものと認められ、その他被告等に原告主張のような不都合の所業のあることを認めるべき証拠なく証人松井薫、同山口彦一、同中村富子の各証言及び原告本人尋問の結果中原告主張に副う部分は当裁判所は眞実を傳えるものとは認めない。
してみると原告の本訴請求は到底認容できないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九條を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 石井末一 西川正世 北後陽三)